「東日本大震災」、早や1週間が過ぎました

         被災者の皆様、心よりお見舞い申し上げます。

3月11日(金)「東日本大震災」「日本沈没」のような大災害をもたらしました。
マグニチュード9.0は、1900年以降、世界4番目の超巨大地震だそうです。
被害は広域に及び、特に、岩手、宮城、福島、茨城まで約500キロの太平洋沿岸地域は壊滅的で、悲惨な状況は目を覆うばかりです。
それに比べれば東京は「小さな地震」でしたが、それでも大きく揺れて、「初めて」の怖さを経験しました。
東北の人たちの死の恐怖に比べれば、あまりにも小さいのですが。
ひろピーは外出先でこの大きな揺れの恐怖を体験しました。

「冷静沈着な行動」がいかに大切か実感しています。

お見舞いを下さった皆様 ありがとうございます。

昼夜テレビから流れる東北地方の被災地の映像はまるで映画のシーンのようです・・・。
でもこれが現実の姿です。
「福島原発」の原子炉爆発などの異常事態を次々見せつけられ、別の恐怖がどんどんも膨らみ始めています。

我が家も本棚などが倒れ足の踏み場もないくらいでした。
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ひろピーはこの現実をブログに残しておくことにしました。

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《3月11日(金)午後2時50分頃》
この時、ひろピーは新宿区四谷のお寺の地下1階の喫茶店でコーラスの練習中でした。
急にグランドピアノがガタガタぐらぐら・・・に始まり、身体が大きく揺れました。
こんな大きな揺れ方は初めてです。
わあ~、地震よ!    みんな気をつけて!
肩を寄せ合い、手を握り合い座り込んでいました。
しばらくして、お寺の広い食堂へ移動。
すでに近隣の人たちが避難して来ていました。

携帯のワンセグを開くと・・・?東北地方が震源地・・・大変なことが発覚!
「爺さんは大丈夫かな?」 何度も携帯や公衆電話をかけましたが繋がらない・・・。

やっと一度だけ、爺さんから繋がり、無事を確認、ホッとしました。
爺さんは外出先の歩道で地震に遭い、「立っていられず木にしがみついていた」と。

外の様子を見に地上へへ出て見ると、向かい側のビルで仕事をしていた人たちや
高層マンションから飛び出してきた人たちがあちこちに集まっていました。
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息子たちからも次々と無事の連絡が入り先ずはホッとしました。

お寺から「このお寺は地震に強い造りになっていますから安心してください」との言葉に、
みんな安堵の顔。
夕方になり、外が冷え込んでくると、通りすがりの人たちも次々とお寺に入ってきました。
急きょ、コーラス仲間10余人が中心になり、お寺に避難してきた人たちに、
温かいお茶やおにぎり、みそ汁の炊き出し作業を開始しました。

びっくり!
夕方6時45分頃、連絡が途絶えていていた爺さんが遥々迎えに来てくれました。
コーラス仲間と一緒にお寺に泊まることにしていましたが、、、
ひろピーは爺さんと徒歩で我が家へ帰ることにしました。
途中何があっても・・・、二人一緒なら 

炊き出し作業が一段落したところで、二人は夜7時前、お寺を出発。

JRや地下鉄、私鉄などは全面ストップです。
道路は歩いて帰宅する人、人、人の波。
よそ見をしていたらぶつかるほど、歩道はびっしり、車道の一部まではみ出していました。

少し歩くと空車のタクシーを見つけて乗りました。
ホッとしたのもつかの間。タクシーはのろのろ。
普通なら10分ぐらいで行ける新宿区・四谷から千代田区・霞ヶ関の「警視庁前」まで約2時間かかりました。
江東区まで何時間かかるか分からないので、タクシーを降りて「徒歩」を決意!
夜9時。「桜田門」の警視庁前を出発。
寒い風が吹き、気温は4℃ぐらい。 途中、トイレを借りるため日比谷のペニンシュラホテルに入る。
ロビーは椅子に座ったり、床に腰を下ろしている人たちでいっぱい。
乳母車に赤ちゃんを乗せた女性や小さな子供連れの人など・・・。
徒歩帰宅をあきらめた人たちに、ホテルがロビーを提供したらしい。

寒さに震えながら、千代田区→中央区→江東区の道を、ひたすらわが家へ。
「帰宅」する人の「元気な歩き」に引っぱられるように、ひろピー婆さんもひたすら歩け歩け!
でも、若い人たちのスピードにはかないません。
日頃から弱い「膝やかかと」など、あちこち痛みが始まり、時々足を止め小休止。
でも座るところはありません。

途中温かいお茶を買って、爺さん持参のチョコレートを口にしながら・・・、歩け、歩け。
ラーメン店や飲み屋は満席。
コンビニはどこも棚が空っぽ!

歩くことに必死でうっかりしていましたが、途中で歩道のあちこちにビルの外壁のタイルが
剥がれ落ちていることに気が付き、緊張!!
足に自信がなかったのに、人の流れにつられて・・・?
いざとなると人間には底力というものがあることが分かりました!

日付の変わる12時前にやっとわが家へ。約3時間の徒歩帰宅でした。
ところがマンションのエレベーターには「ストップ」の張り紙が・・・。
最後の力を振り絞って7階の我が家にたどり着きました

ひと足先に三男が老親の安否を心配し、日比谷の会社から2時間余りの徒歩で、駆け付けてくれていました。

二人の「仕事部屋?」は二つの本棚が電話やパソコンの上に倒れ、本や額や置物や掛け軸等々が
部屋を埋め尽くし、足の踏み場もないくらい。呆然としました

《3月12日(土)》
床についてから、携帯の「地震予報」が鳴り、何度か起こされました。
あちこち痛む身体をかばいながら・・・、息子や爺さんと飛び散った物を少しづつ片付ける。
先ず、床一面に散らばった本を廊下に出す。
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やっと本棚をもとの位置へ戻す。
本棚が倒れかかっていたパソコンと電話機は無事。
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息子は9時頃になってやっと動き出した電車で北浦和の自宅へ向かった。
自宅に着いたのは午後2時。普段は1時間半のところ5時間もかかったようでびっくり!
やっと親子3人、無事を確かめ合ったようです。

《3月13日(日)》
携帯から流れる警戒予報は昼夜2、3度。
東北の被害はどんどん拡大するばかりですが、わが家はようやく落ち着きを取り戻しました。

「地震大国ニッポン」を忘れてはいけない、と痛感しました。

「物」が落ちないように! それより、落ちる「物」がなければ、心配ない!

明日からは「地震対策」とともに、「老い支度」で「断捨離」を心掛けて、
「物を捨てよう」
と思っています。

《3月14日(月)》
痛む足をかばいながら、一日中家で防災用品の「点検と補充」。
「余震」が多い為、いつも体が揺れているようです。
「地震酔い」というそうです。
爺さんはスーパーへ買い物に出かけました。棚は空っぽ状態だったそうで、「大変なことになっているよ!」。
携帯で写真を撮ってきてくれました。
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《3月15日(火)》
やっと足の痛みがとれ、スーパーへ買い物に。
店の入り口は長い行列。
米、牛乳、卵など欲しかったものは、開店直後になくなりました。

午後は久し振りに近くのスポーツクラブへ行って見ましたが、室内は電気節約のため薄暗い。
使えるのは、ルームランナーなどマシーンだけ。数人が筋力アップを頑張っていました。

地下のプールへ降りてみると女性が一人泳いでいるだけ。
ひろピーは広いプールで緊張した身体をほぐすべく、泳いだりだり水中歩行をする。
お風呂も浴槽は空っぽ。シャワーだけ使用可能。
「17日(木)まで、営業は5時までです」と館内放送が繰り返し流れていた。

帰途、スーパーに寄ったが、ほとんどの品物は売り切れていた。
冷凍食品がわずか残っていたので、「エビピラフ」と「らーめん」を購入。

《3月16日(水)》
テレビから被災地は雪が降り出し、冷え込みが厳しそう。寒さに震える人たちの様子が流れる。
暖かい部屋でテレビを見ながら何も出来ないもどかしさ。
節電を頑張るのみ。

福島第一原発の事故が日毎に拡大し、放射性物質の放出が止まらない
茨城県に住む、甥や姪は幼い子供たちを連れて、故郷京都府へ避難したそうです。
若い決断力には脱帽です!

知り合いの中国の留学生は原発事故の恐怖から、母国へ帰る準備をしたり、京都や博多へ“逃避行”やら。
中国の知人からは「生活に必要な品は何ですか?送りますよ」「放射能が危険なら、上海へ来て下さい」。
2002年に起きた「サーズ」の時、「マスク」を送った大連の大学教授からは、
「今度は私たちに何かできることは、ありませんか?大連に避難しませんか?

温かいメールや電話が次々と入る。
「中国へ行く」と言っても、「先立つもの」がなく、簡単ではない。
老夫婦にできるのは節電と食料の買いだめを控えて、何もしないことぐらい!!!!

《3月17日(木)》

午後1時半、二人で少し離れたスーパーへ。
野菜、肉、魚、菓子パンが少し並んでいた。
しかし、水、麺類、お米の棚はやっぱり空っぽ。
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午後4時過ぎのNHKテレビから、
福島第一原発の原子炉が大量の放射能漏れの危機に!
使用済み核燃料を冷やすため、自衛隊のヘリコプターが4回放水したが、があまり効果はなかったようだ。
さらに、夜、消防車5台が地上から放水する。
作業する人の被爆の心配があり、作業もいろいろな制約がある。
18日以降も、放水作業が続けられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この後も、
ーーこれから大規模停電になるかもしれません(4時35分)
ーー6時からJRの運転本数を減らします。
ーー帰宅ラッシュ時にはどうなるでしょうか・・・?
テレビからは次々と新しい情報が流れた。

我が町の放送塔からも 「節電にご協力ください!」

昨夜は「携帯、ラジオ、懐中電灯」などを枕元に、早々に床につきました。
9時32分、携帯に「緊急地震速報」が入る。
「千葉東方沖で地震発生。強い揺れに備えてください」
しばらくして「ぐらぐら!」 震度3でした。

この後、またぐらぐら・・・。震度2でした。

少々の揺れには驚かなくなりましたが、「心身の安らぎ」はいつのことやら・・・?

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  被災地の皆様! 少しでも早くこれまでの生活が取り戻せますように!


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この記事へのコメント

ひなた
2011年03月18日 17:29
ひろピーさん、すごいですね。
自宅内が驚きの状態ですね。
マンションならゆれも大きかったでしょう。

こちらも揺れましたが家の中がこのようになるほどではなかった。
でも海沿いの観光スポットのレンガ倉庫あたりは
津波で1.5m浸水しました。
津波で亡くなった男性がひとり。。

地震国日本、まだまだこれからも、と思うとガクッとなります。
2011年03月18日 19:48
こんばんは。
ひろピーさん、大変でしたね。
さすが冷静に物事をとらえて居られ感心しています。
歩いて帰ったのは大変だったでしょうね。

このブログコピーしてとっておきたいくらい、地震後の
事を克明に記録して居られます。

前にも書きましたが、息子が茨城にいます。
立場上家族は私方に来られても、息子が来るわけにいきません。
案外冷静で、気をもんでいるのは私達だけの様ですが、
気にかかります。
余震が続いています。地震酔い早く治ると良いですね。
こう言う事があると先々考えさせられますね。
お大事にして下さいね。
あざみ
2011年03月19日 07:05
部屋が随分ひっくり返っていましたね。
親孝行の息子さんが心配して訪ねてきてくれていたのですね。
後片づけは助かりますね。
見事にスーパーは品物がありませんね。ビックリです。
2011年03月19日 17:56
ひろピーさんのお宅も我が家といい勝負していますね
我が家のマンション、六階より上の家の被害が大きかったです。
今日も朝から本箱の修理で一日が終わろうとしています。
出来る範囲で一歩ずつ、ですね。
2011年03月20日 23:53
ひろピーさん家は食糧などは大丈夫ですか?
ミルキーはこの3連休はこちらでも出来ることを頑張っています。
ひろピーさん達が今までに頑張ってこられたことで、沢山のお友達や家族からの優しさを受けることが出来るのでしょうね。皆さんの優しさが嬉しいですね。
ひろピーさん、ご主人様、お身体ご自愛くださいませ。


2011年03月21日 10:29
ひなた様
はるわか様
あざみ様
kari様
ミルキー様
温かいコメントをありがとうございました。

東日本大震災では今までにない大変なことを経験し、
多くのことを学ぶ毎日です。
特に「自然の猛威」の前に、人の力がいかに無力か、
改めて思い知らされました。
でも、震災から9日目の昨日は
80歳の女性と16歳のお孫さんが救助!の朗報。
人間には強い生命力、底力がある!と勇気づけられました。

被災地の皆さんの辛さには、私たちの「節電」「節水」「節約」
の不自由さなど比べ物になりません。
被災者の「生きているだけで幸せ」の言葉を心に、
自分に出来ることを精一杯頑張ろうと思っています。
2011年03月23日 07:58
お出かけでしたか!!
大変でしたね。
私は前日に出掛けていました。
JR利用でしたから、帰れなかったでしょう。
こちらも大分揺れましたが、額がずれたり、スズメバチの巣のプラケースが落ちた位でした。
不気味な地震ですね。
原発が心配です。
保存版のブログです。
2011年03月23日 10:29
全力を挙げて復興作業をされています。
も少し頑張って頂きたいですね。
今日も余震がありヒヤっとしました。

「頑張って!」の言葉は他人ごと、「一緒に頑張ろうね。完全復旧まで応援するからね」と身内の気持ちで声を掛け、継続した支援してあげて欲しいと阪神大震災の被災者の方がおっしゃっていました。

このマスコミの報道が終わると被災地の方々は取り残され、忘れ去られるような不安に駆られるそうです。
私も長期にわたる支援が大切だと思っています、、落ち着いたら東北旅行に行ってあげる。海産物、農産物、名産品を積極的に買ってあげる。これが本当の支援のような気がしています。
カト
2011年03月24日 06:42
ひろピーさん 無事で何よりです
千葉ディズニーランドの駐車場の液状化の様子がテレビで流れましたが
東京の映像があまりテレビで出ていませんでしたので・・・
でも知り合いの子が住んでいる区は冷蔵庫が7メートルずれたといっておりました
この写真でとても大きな地震だったんだな・・・と
あの夜は東京都内の自転車屋さんの自転車がどんどん売れている様子も出ていました
普段普通に便利なものが不便になるということは本当に大変なことですね
まだまだ余震が続きそうですが
お身体大切になさってください
2011年03月24日 09:47
今回の地震ではいろいろと生まれて初めての
体験をしました。
ハッピーさんも一日違いで何があったかと思うと・・・。
運命の分かれ道は一瞬で!ですね。
今後は原発被害がどこまで・・・?
正確な情報と判断力等々、しっかりしなくては!
2011年03月24日 09:55
おっしゃる通りだと思います。
被災者の皆さんには
「一人じゃないよ」「みんな一緒ですよ」と、
長期にわたる心の支援をしていきたいと思います。

2011年03月24日 10:14
お見舞いありがとうございます。
東京も色々と被害がありましたが、震源地の被害が
大きすぎて、、、、。
被災地の復興は日本中のみんなの底力で何れは、と
希望を持っています。
でも原発事故は底知れぬ恐怖が付きまとい、
安心して暮らせる日は何時?と心配です。
原発は人間が作り出したもの、人間の能力で
何としても治めないことには!
寅どしより
2011年03月24日 11:09
お写真拝見、大変なことですね。私、何と不幸中の幸いというか、骨折して入院中でした、三食付き人手ありで、一番楽をしたと、娘たちに言われました。昨日退院したのでまた少しずつ、体力をつけてと思ってます。よろしくね。
2011年03月24日 19:39
ブログはしばらくお休みかな・・・?と、
思っていましたら、骨折で入院なさっていたとは
早速にコメントをいただき、ありがとうございました。
寅どしよりさんはこれからリハビリが大変だと思いますが、
頑張ってくださいね。

原発事故の被害はどうなるのか、余震はいつまで?と
不安な毎日ですが、希望を持って頑張らなくっちゃ!
と思っています。